システム通知:プラン崩壊 ∟予定外が、一番楽しかった。

 Sランクエンディングを達成した筈の放課後。 『わたしも、同じだから』  夕陽を浴びて綻んだ苗字さんの微笑みは、おれのセーブデータに永久保存され、イベントスチルとして、今も脳内で鮮やかに再生できる。それ自体は、まあ、悪くない。寧ろ、HPとMPが全回復するエリクサーみたいなものだ。問題は、その後のことだった。 『じゃあ、今度の日曜日、一緒に出掛けない?』  どのルート分岐で、そんな選択肢を選んでしまったのか、自分でもよく分からない。気づいた時には、口から滑り出ていた。苗字さんは少しだけ目を丸くして、「うん、楽しみだね」と、また花が咲くように笑った。  その結果が、これだ。 「……で? 研磨クンは、その大事な初デートとやらは、どこに行くおつもりで?」 「……クロ、煩い」  土曜の部活後。帰る道すがら、おれのスマホを覗き込んだクロが、心底愉快そうに喉を鳴らす。画面には『初デート オススメ スポット 東京』『女子高生 喜ぶ プレゼント』と云った、我ながら涙ぐましい検索履歴が表示されていた。 「いやいや、微笑ましいじゃないの。あの孤爪研磨が、恋愛シミュレーションゲームの主人公宜しく、フラグ立てに奔走してるなんてさ。で、プランは? ちゃんとタイムテーブル組んで、イベント発生ポイントは押さえてるんだろうな?」 「……そう云うの、現実にはないから」 「あるね。女の子が『わぁ、可愛い!』って言ったアクセサリーを憶えておいて、後でこっそり買って渡すとか。そう云うのをフラグって言うんだよ。健気な努力は、時にどんなチート技より、効果を発揮する」  したり顔で語るクロのアドバイスは、有益なようでいて、おれの視界を圧迫するだけの迷惑なポップアップ広告に似ていた。  恋愛はゲームじゃない。分かってる。分かってるのに、どうしても攻略対象として見てしまう。苗字さんのパラメータは? 今の選択肢で好感度は上がったか、下がったか? 抑々、彼女の好きなもの、嫌いなもの、データベースが圧倒的に不足してる。レベル1の初期装備で、ラスボスに挑むような無謀さだ。  そして、運命の日曜日。  鏡の前で、おれは絶望していた。いつもは数分で言うことを聞く髪が、妙な方向にハネて、意思を持っているかのように抵抗する。普段より十五分も早く起きたのに、今日に限って、まだ直せてない。  クローゼットを覗けば、更に深いダンジョンが待ち受けていた。くすんだ赤のパーカー、深い青のTシャツ、デザインの凝ったシャツ。自分でも忘れていた服が、雑多に連なっている。だけど、どれも"初デート"と云う高難易度クエストに挑む為の装備としては、心許なく思えた。正解のコマンドが分からない。これじゃ、隣に立つであろう苗字さん――恐らく、イベント限定の美麗な衣装を纏っているヒロイン――との釣り合いが、致命的に取れない。 「……まあ、いいか。おれはおれだし」  半ば投げ遣りに呟き、結局、一番見慣れている黒のパーカーを掴み取った。玄関のドアを開ける直前、心臓がドクン、と存在を主張した。大丈夫。只の、NPCとの会話イベントだし。そう気持ちを誤魔化しても、掌にじっとりと汗が滲む。  待ち合わせ場所の吉祥寺駅。改札前の広場は、日曜の昼下がりを謳歌する人々でごった返していた。情報の洪水だ。脳の処理が追い付かない。おれは壁際の柱に寄り掛かり、人混みから少しでも身を守りながら、只管、スマホの画面をタップする。単純なパズルゲーム。ブロックを消す無機質な作業に没頭することで、どうにか平静を保とうとしていた。 「孤爪くん」  不意に雑踏のノイズを貫いて、澄んだ声が鼓膜を揺らした。顔を上げると、苗字さんが居た。  アイボリーの柔らかなワンピースに、ネイビーの薄手なカーディガン。派手な装飾は何もないのに、苗字さんの周りだけ、別の光が当たってるみたいだった。人波の中で、彼女だけがピンポイントでフォーカスされてる、非現実的な感覚。陶器のように滑らかな肌も、静かな煌めきを宿す大きな瞳も、全てが喧騒とは異質で、清廉な空気を纏っている。 「ごめんね、待った?」 「……ううん、おれも、さっき着いたとこ」  そう返し、小さく微笑みながらも、おれの脳内に構築されていた『初デート攻略プラン Ver.1.0』のウィンドウが、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる気配がした。予約した映画を観て、人気が少ない穴場のカフェでランチして、雑貨屋を巡る。完璧な筈のフローチャートが、苗字さんの存在感の前では、酷く陳腐なものに思えた。 「……じゃあ、行こっか」 「うん」  並んで歩き出す。数センチ横に在る、苗字さんの肩。時折、風に煽られた彼女の髪が、おれの腕を掠める。その度に心臓が跳ねて、思考にラグが生じる。駄目だ。落ち着かなきゃ。先ずは第一チェックポイント、映画館だ。 「……あ、見て。孤爪くん」  劇場へ向かう商店街の途中、苗字さんがふと足を止めた。彼女の視線の先には、古びたショーウィンドウ。中には、木彫りの奇妙な顔をした猫の置物が、埃を被って鎮座していた。 「……変な顔」 「ふふ、本当だね。でも、憎めない顔をしてる。何を考えているのかな」  そう言って、ガラスに顔を寄せる苗字さん。陽光が横顔を淡く照らし出し、長い睫が淡い影を落とす。綺麗だ、と思った。同時に、おれの脳内では警告音が鳴り響く。 ("タイムロス発生! 予定時刻をオーバー! このままでは、映画鑑賞に影響が……!") 「……そろそろ行かないと。映画、始まっちゃう」 「あ、そうだったね。ごめん」  慌てた様子もなく、苗字さんはゆっくりと振り返る。落ち着き払った態度が、おれの焦燥感を更に煽った。  映画は話題のアクション大作だった。だけど、内容は殆ど頭に入ってこない。暗闇の中、直ぐ隣に居る苗字さんの気配ばかりが意識に上る。時々、彼女の呼吸が聞こえる。ポップコーンに伸びる、白い指先が見える。その都度、おれの思考のリソースは"デートの遂行"から逸れて、意味のないシミュレーションを繰り返していた。 (今、手を繋いだら、好感度が上がる? いや、下がる? 抑々、この暗さで表情が見えない。リスクが高い)  そんなことを考えている内に、ムービーは壮大なエンディングを迎え、劇場は明るくなった。 「……面白かったね。最後のシーン、CGのクオリティも凄かった」 「……うん」  相槌を打ちながらも、頭は次のミッションでいっぱいだった。カフェだ。ランチのラストオーダーまで、後、十五分。早足で向かわないと、間に合わないかも。 「急ごう。お店、ランチ終わっちゃうから」 「わ、待って、孤爪くん」  少しだけ早歩きになったおれのパーカーの裾を、苗字さんがくい、と掴んだ。小さな抵抗に、心臓が大きく軋む。振り向くと、彼女はちょっと困ったように眉を下げていた。 「あのね、さっきから、孤爪くんが焦っているみたいに見える」 「……そんなこと、ない」 「あるよ。ずっと難しい顔をしてる。クリアできないゲームの攻略法を探してる時みたいな顔」  図星だった。的確過ぎる指摘に、言葉が淀む。深い色の双眸が、おれの心の内側を静かに見透かしているようだった。 「……ごめん。折角のデートなのに、楽しくない?」 「ううん、楽しいよ。孤爪くんと一緒に居られるから。でも、孤爪くんは楽しくないのかなって」  違う。楽しい。楽しい筈なんだ。なのに、どうして、こんなに息が詰まるんだろう。  "どうすれば、苗字さんが喜ぶか"  そればかり考えて、肝心の"苗字さん"をちゃんと見てなかった。彼女の表情、声のトーン、歩く速さ。おれが気にするべきだったのは、タイムテーブルじゃなくて、そう云う一つひとつだったんだ。  ハートを見失ってた。ゲームで一番大事なアイテムを、最初の村に置き忘れてきたようなものだ。 「……ごめん」  絞り出した声は、楽しみにしていたビッグタイトルが、発売延期した時みたいに弱々しかった。 「おれ、多分、バグってる」  すると、苗字さんはふわりと笑った。掴んでいた裾を離し、代わりに、おれの手を取る。意外と冷たいけど、柔らかな指先。 「じゃあ、デバッグしようか」 「……え?」 「案内させてほしいな。わたしの好きな場所に」  苗字さんに導かれるまま、おれ達は賑やかな大通りを外れ、細い路地裏へと踏み入った。そこは世界から切り取られたような、静かな場所だった。古本屋がひっそりと佇み、その隣には、レトロなアーケードゲームが数台だけ置かれた、小規模のゲームセンターがあった。 「ここ、時々来るの」  苗字さんは年季が入った対戦格闘ゲームの前に立つと、慣れた手つきで百円玉を投入した。 「兄貴兄さんがね、『物語の神様は、喧騒の裏側に降りてくる』と言って、よくこう云う場所に連れてきてくれたんだ」  兄。そう云えば、苗字さんには作家のお兄さんが居るんだった。変なTシャツが好きだと云う。今日の服はどんなだろう。『〆切は敵』とかだろうか。どうでもいい思考が、少しだけ頭を軽くする。 「孤爪くん、勝負」  促されるまま、向かいの席に座る。CRTモニターに映し出された、キャラクター選択画面。いつもなら瞬時に最適解を選び出す指先が、今日は僅かに迷う。 「……おれ、こう云うの得意だから。手加減しないよ」 「望むところだよ」  対戦が始まった。レバーを握り、ボタンを叩く。最初はぎこちなかった指が、次第に熱を帯びる。技を繰り出し、コンボを繋げ、相手の動きを読む。バレーの時と同じだ。思考がクリアになってく。対面では、苗字さんも真剣な顔でボタンを連打しているだろう。時々、「わぁ」「しまった」なんて、可愛らしい声が聞こえるのが、可笑しかった。  気づけば、おれ達は夢中になっていた。勝ったり、負けたりを繰り返して、どちらからともなく笑い声が零れた。攻略プランも、好感度も、タイムテーブルも、全部、どうでもよくなってた。只、傍で笑う苗字さんが居る。それだけで、胸の中が温かいもので満たされる。 「……はぁ。楽しー」  思わず、本音が漏れた。苗字さんは、おれをきょとんとした表情で見ると、嬉しそうに目を細めた。 「うん。わたしも楽しい。今の孤爪くん、凄く良い顔をしてる」  その感想に、耳が熱くなるのを感じた。これが正解だったんだ。理由も、ロジックもない。只、この瞬間が楽しい。それで、充分過ぎるくらいだった。  ゲームセンターを出ると、空はすっかり夕焼けに染まっていた。 「……ごめん。おれの立てたプラン、滅茶苦茶にしちゃった」 「ううん。ルート変更したのは、わたしだよ。孤爪くんと一緒だから、凄く楽しかった。……ありがとう」  苗字さんはそう言って、もう一度、おれの手をぎゅっと握った。 「ねぇ、孤爪くん。また、デバッグしてもいい?」 「……うん。いつでも」  バグは、まだ完全には修正されてないかもしれない。でも、この綺麗なシステムエラーとなら、ずっと付き合っていける。そんな確信があった。  Sランクエンディングの、その先へ。おれ達の物語は始まったばかりだ。



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