雑貨屋で見つけた、君の分身 | ポケットの中の小さな想い | Title:ありがちなおはなし
保護猫カフェ『ふわもこ邸』を出た帰り道、わたしは工くんのシャツに付着した猫の毛を摘まんで取り除いていた。暦の上では春とは言え、まだ冷たい夜風が吹く二月の夜空に、猫毛は時折宙を舞い、街灯の光を浴びてキラキラと輝いている。今日は二月二十二日、猫の日。猫達と触れ合った温かな感触が、指先に残っているようだった。
「コロコロを借りたけれど、まだ残っているね」
指先に絡み付いたふわふわの毛を払いつつ、わたしはくすりと笑う。工くんも自分の服を見下ろして、「うわ、ホントだ……」と驚いたような声を上げた。黄色い鳥のシャツに、白い猫毛が点々と星のように散らばっている。
「懐かれまくっていたもんね」
「いや、でも可愛かったし……仕方ないだろ」
不満げに呟く工くんの耳が、少しだけ赤い。花に群がる蜜蜂のように集まってきた猫達に囲まれ、普段の鋭い眼差しが柔らかく溶けていく彼の表情を思い出す。特に三毛猫の『みーちゃん』を抱き上げた時、工くんの目が細められ、輝いていた瞬間が忘れられない。そんな彼の姿を想うだけで、わたしの胸の奥がほんのり温かくなる。
シャツの毛を大体取り終えたところで、今度は彼の深緑色のコートに目をやった。裾の部分に、橙色の短い毛が何本か絡み付いている。
「こっちにも付いているかも」
そう言いながら、わたしはコートのポケットにさり気なく手を伸ばした。
勿論、本当の目的は違う。小さな黄色い鳥のマスコットを忍ばせる為だ。
それは、ふわもこ邸に向かう途中で、ふと立ち寄った古びた雑貨屋で見つけたものだった。店内の木製の棚に並んだ様々な小物の中で、スポットライトを浴びているかのように、ひときわ鮮やかに光っていた。レモンイエローの丸っこいフォルムと、ちょこんとした小さな羽。黒い目玉がキラキラと光り、少し不機嫌そうな口元。見た瞬間、何故か工くんに似合いそうだと直感的に思った。
けれど、カフェに入ってからは猫達の魅力に気を取られ、渡しそびれていた。今更、正面から「これ、あげる」と手渡すのは少し照れくさい。高校一年生にもなって、こんな幼いマスコットを。何よりも、彼がどう感じるかが怖い。
だから、こうしてこっそり仕込む作戦に出た。
工くんのコートのポケットをそっと開き、マスコットを滑り込ませる。彼の体温を記憶しているかのような内側に指先が触れた瞬間、一瞬でドキリと心臓が跳ね上がった。彼に直接包まれているみたいで、目許が熱くなる。
――気づいたら、どんな顔をするだろう。
意地悪そうに笑うかもしれない。それとも恥ずかしがるか。想像するだけで、自然と頬が綻んだ。
「……ん? どうした?」
不思議そうに覗き込む工くんの瞳に、わたしは「ううん、何でもないよ」と首を振る。心臓の鼓動が少しだけ速くなるのを感じながら。
彼がこの小さなサプライズに気づくのは、もう少し先のことになりそうだった。それまでの間、この秘密を胸に抱えておくのも悪くない。
そうして並んで歩く帰り道、橙色の街灯が二人を優しく包み込む。アスファルトに伸びる二つの影は、寄り添うように、けれど少しだけ距離を保ちながら揺れている。工くんはふと足を止め、わたしの方をちらりと見た。人工的な光を反射して、いつもなら真っ直ぐな視線が、珍しく揺れている。
「……なあ、今日、楽しかったか?」
唐突な問いに瞬きをする。灯りに照らされた彼の横顔は、いつもより柔らかく見えた。
「うん、楽しかったよ」
「そ、そっか! なら、良かった」
ほっとしたように笑う工くんを見て、思わず笑みが零れた。彼の緊張が解けていく様子が手に取るように分かる。
――こんな些細なやり取りが、やけに愛おしい。
誰かに話せば「ただ猫カフェに行っただけ」と片付けられるような、ありがちで、何の変哲もない一日。
だけど、それがかけがえのない想い出になると、わたしはもう知っている。
工くんと過ごす日々が、少しずつわたしの心を満たしていく。
彼のポケットに忍ばせた小さな鳥のように、わたしも彼の日常に静かに寄り添っていけたらいいな、と願う。
「もう日が暮れたな」
瑠璃色の空を見上げる工くんの横顔を見つめながら、わたしは小さく頷いた。
この瞬間が、いつまでも続けばいいのに。

それから数日後、五色は寮の自室でコートを着ようとして、ふと違和感を覚えた。朝日が差し込む窓辺で、彼は眉をひそめる。
「ん……?」
ポケットの中に、何かがある。昨日は何も入れた覚えがないのに。
手を突っ込んで取り出してみると、そこにあったのは――小さな黄色い鳥のマスコット。丸みを帯びた体と、黒い円らな瞳。なんだか親近感のある表情をしている。
「……は?」
一瞬、思考が止まった。五色の脳裏に疑問符が浮かぶ。こんなものを自分が持っていた記憶はない。だが、どこかで見た気もする。薄暗い店内で、棚の上に並んでいた小さな生き物達。
――あ。
思い出した。猫カフェに行く前、
名前と雑貨屋に立ち寄った時だ。確かに彼女がこの鳥を手に取って、何かを考えるように見つめた後、レジへと向かっていた。その時は、鳥として扱われる運命を嘆いていたけれど……。
「……
名前……」
マスコットを指で摘まみ、朝の光に透かすようにじっと見つめる。鮮やかなレモン色の丸いフォルムとちょこんとした羽。不機嫌そうに尖った口元。嫌でも自分の姿を連想させるその表情に、五色は内心で苦笑した。
そして、自然と口元が緩む。心の中で
名前の顔が浮かび、彼女がこっそりとこれをポケットに入れる様子を想像する。
「……ははっ」
思わず笑いが漏れる。寮の静寂を破る小さな音が、部屋に響いた。
「……そういうことかよ」
名前の、さり気なくも可愛らしい悪戯。普段は冷静で理知的な彼女が、こんな幼い贈り物を選んだことに、五色は胸の奥が熱くなるのを感じた。
嬉しさと照れ臭さが入り混じった感情を胸に満たしながら、五色は宝物を扱うかのように、マスコットをそっと握り締めた。小さな体が手のひらに収まる感触。軽いのに、何故か重みを感じる。
次に会った時、ちゃんとお礼を言わなきゃな。
――いや、どうせなら、今度は俺からも仕掛けてやろうか。
そんなことを考えながら、五色はポケットにマスコットを戻し、制服のボタンを留めた。鏡に映る自分の姿は、いつもより少し大人びて見えるような気がした。
彼の頬には、今までで一番柔らかな笑みが浮かんでいた。
そして胸の内には、まだ言葉にできない感情が、静かに、けれど確かに育ち始めていた。