情熱100パーセントの焼きそば ∟一緒に作る焼きそばが、心の距離を縮める。

 買い過ぎた。  どう考えても、買い過ぎてしまった。  夕暮れ時のマンションのエントランスで、五色は両腕にぶら提げた大量の買い物袋を呆然と見下ろした。キャベツが六玉。焼きそばの麺が十玉。豚肉、もやし、人参、青海苔、紅生姜……。気づけば屋台でも開けそうな量になっていた。頭上の照明が、真っ白なフロアに伸びる影を優しく照らしている。 「工くん、入るなら、先に進んでくれるかな」 「わ、悪い……!」  背後から清涼な声音が響き、五色は慌ててオートロックの扉を潜った。声の主、苗字名前は何も持っていない。白い指を優雅に組み、どこか楽しげに五色を見つめていた。 「工くんは何故、そんなに買い込んだの?」 「いや、その……。なんか勢いで……」 「情熱100パーセントと云うわけだね」 「なんだそれ……」  名前の謎めいた科白に、五色は頬を赤くしながら、エレベーターのボタンを押した。五色のカゴに、最初に人参を入れたのは、名前だった。「焼きそばには、人参も要る」と当たり前のことを言いながら。しかし、そこから何かが狂ったのか、五色は「どうせなら、沢山作ろう!」と云う熱血な思考に突入し、気づけばこの有様だった。二人で買い物していた筈が、いつの間にか、五色一人が奇妙な熱に浮かされていた。 「ま、まぁ……余ったら、冷凍できるし……」 「工くん、キャベツは冷凍すると、べちゃべちゃになるよ」 「……マジ?」 「マジだよ」  言葉のセンスが独特なのに、声は透き通るように美しい。そのアンバランスさに、五色は内心で苦笑しながら、エレベーターの扉が閉じる様子を見守った。静かに上昇する箱の中で、二人の影が寄り添うように揺れている。  マンションの廊下に射し込む夕陽が、オレンジ色の光を投げ掛けていた。苗字家のドアを開けると、二人分の靴音が玄関に響く。買い物袋から食材を取り出し始めた時、現実が容赦なく襲い掛かった。
「多過ぎる!!!」  五色の絶叫が、静謐な空間に響き渡った。  キッチンのカウンターには、キャベツのざく切りが山と盛られ、焼きそばの麺が整然と並んでいる。その光景は、まるで大食い選手権の会場のようだった。窓の外では外灯が次々と灯り始め、部屋の中に夜の気配が忍び寄る。 「工くん、わたしはそんなに食べられないよ」 「俺だって、食える量に限界がある……!」  二人は顔を見合わせ、途方に暮れた。キッチンの照明が、積み上がった食材を無情に照らしている。 「……兄さんを呼ぶ?」 「いや、名前の兄貴は……ちょっと……」  五色は名前の兄、兄貴を思い浮かべ、即座に却下した。以前会った時、彼は五色をじっと見つめた後、「君の手は大きいね。物語を創る手だ」と呟き、謎のポエムを紡ぎ始めた。その後も『孤独な靴下』がどうとか、『妹は美しい』がどうとか、なんとなく会話が成立しなかった記憶が蘇る。詩人気質の兄は、この状況をきっと、別の意味で複雑にしてしまうだろう。 「じゃあ、は?」 「えっ、名前の弟? ……いや、あいつ、絶対俺のこと揶揄うじゃん」 「そうだね」 「否定してくれよ!!」  五色の訴えに、名前は柔らかく笑った。その仕草には、どこか懐かしい温もりがあった。 「なら、工くん。君は何玉食べられる?」 「……二玉」 「よし、では、わたしは200gで」 「おい、頑張って一玉いけよ!」 「そんなに食べられない」 「ぐぬぬ……」 「じゃあ、作るよ」  名前は楽しそうに袖を捲ると、フライパンを取り出した。台所に立つ姿は、いつも以上に凛としている。  ジュウウゥゥゥ……。  熱した鉄の上で麺が焼かれ、ソースの香りが立ち昇る。五色はごくりと唾を飲み込んだ。甘辛い匂いが部屋中に広がり、二人の空腹を刺激する。 「工くん、ちょっと味見してくれるかな」 「お、いいのか?」 「はい、あーん」  名前は細い箸で一口分の焼きそばを摘まみ、五色の口許に差し出した。その所作には、普段の冷静さの中に、微かな期待が混ざっているように見えた。 「……!!!」 (マズい、心臓が……!)  五色は全身に電流が走るような衝撃を感じ、脳内で何かが爆発する音を聞いた。あーん、あーん、あーん?! え、これ、めちゃくちゃ恋人っぽい!! いや、恋人だけど!! たった一つの仕草なのに、何故、こんなにも胸が騒ぐのか。でも、こう云うのって、もっと雰囲気とか、タイミングとか、なんかこう……! 「工くん?」 「お、おう……! あ、あーん……」  緊張で手汗を掻きながら、五色は差し出された麺を口に含んだ。温かい麺が、舌の上で踊る。 「……うん! 美味い!!」 「本当?」 「マジで! ちゃんと、キャベツもシャキシャキしてる!」 「良かった」  名前は満足気に微笑んだ。その笑顔が、五色の心臓を激しく揺さぶる。  ドクン、ドクン、ドクン……。  鼓動が耳元で轟く。 (ヤバい、ヤバい……! なんか……来る……!!)  例の思春期特有の現象が、五色の身体を襲った。彼は慌てて立ち上がり、カウンターを回り込むように位置を変え、必死に話題を逸らす。 「よし!! どんどん焼くぞ!! 俺達は焼きそばを制する!!!」 「そうだね、工くん。情熱100パーセントで頑張ろう」 「そ、それ!! さっきから気になってたんだけど、なんのネタなんだよ!!!」 「ふふ……秘密だよ」  そう言って微笑む名前は、どこか悪戯っぽかった。その表情に、五色は思わず見惚れてしまう。  結局、その日は大量の焼きそばを食べ、余った分はタッパーに詰めて冷蔵庫へ。二人で分け合って、五色は残りを持ち帰ることになった。窓の外では、町の明かりが夜空に溶け込んでいる。  そして、深夜。  五色はベッドに横になりながら、スマホを弄っていた。天井には、外灯の淡い光が揺らめいている。 「情熱100パーセント……」  気になった彼は、こっそり検索を掛ける。しかし、何もヒットしない。画面の青白い光源が、五色の困惑した表情を照らしていた。 「……マジで、何なんだ……?」  謎が謎を呼ぶまま、五色は眠りに就いた。  一方、その頃。すやすやと睡眠中の名前は、満足気に微笑んでいた。明日も、その次も、二人で紡ぐ日常は続いていく――。



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