
What If Story.
まさかとは思うが、俺のスパイクフォームを連続写真で収めた手作りアルバム、とかだろうか。いや、流石にマニアック過ぎるか。だとしたら、矢張り面積の少ない布か、俺への想いを綴ったポエム集か……。思考は堂々巡りを繰り返すが、どうにもアルバムの可能性が頭から離れない。どちらにせよ、俺の情緒はジェットコースターのように乱高下を繰り返していた。
カチャリ、とローボードの扉が開かれる。俺はゴクリと固唾を呑んだ。
名前がそこから取り出したのは――一冊の分厚いスクラップブックだった。
「じゃーん」
効果音と共に、名前が掲げてみせた切り抜き帳の表紙には、拙いながらも丁寧に描かれた、俺の似顔絵(アホ毛付き)と『TSUTOMU GOSHIKI SCRAPBOOK』の文字が踊っていた。
「……え?」
俺の口から鳩が豆鉄砲を食らったような、実に間抜けな声が漏れた。
妄想の大穴狙いが正しく的中した瞬間であったが、それは想像を遥かに超えるクオリティで、俺の心臓を撃ち抜く最終兵器だった。
「これ、この間の練習試合の時から、ずっと作っていたんだ」
そう言って、名前は少し照れ臭そうに微笑む。
俺の脳内で華々しく打ち上がっていた、他の空想――面積の少ない布だの、ポエムだのと云った邪な考えは、余りに純粋で真っ直ぐな愛情の結晶を前に一瞬で霧散した。
「あ、アルバム……?」
「うん。工くんの、スパイクフォームの研究記録」
研究記録。その語句に、心臓が別の意味で激しく脈打ち始めた。
俺は促されるままベッドの縁に腰掛け、膝の上でアルバムを開いた。
見開きのページには、助走から踏み切り、空中でのフォーム、ミートの瞬間に至るまでの姿が、連続写真でびっしりと貼り付けられている。写真の脇には、名前の細く整った文字で、みっちりと書き込みが成されていた。
『クロスを打つ時、僅かに左肩が開くのが早い傾向。これがブロックに読まれる一因?』
『ストレートの威力は絶品。只、フォロースルーで体幹が流れる癖がある。着地時のバランスを意識すれば、次のプレーへの移行が、更にスムーズになる筈』
『サーブのトス、高さに数センチのバラつき。安定すれば、サービスエースの確率はもっと上がる』
俺は言葉を失った。
そこに書かれていたのは、鷲匠監督や先輩達から耳にタコが出来るくらいに指摘されてきた、俺の課題そのものだった。ギャラリーからこれ程までの緻密さで、俺のプレーを分析していたと云うのか。
「先頭文字、名前……お前、これ……」
「……ごめんね、出しゃばった真似をして」
俯く彼女の長い睫が、頼りなげに震えている。
「工くんがバレーに打ち込んでいる姿は、世界で一番格好良いと思ってる。本当に。でも、ただ応援しているだけじゃ、足りなかったんだ。わたしも、工くんの力になりたかった」
名前は、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
「わたしはボールを打つことも、トスを上げることもできない。コートの中には入れない。まるで、愛する手段を奪われた人形みたいに、只、そこに居ることしかできないのが、時々、凄くもどかしくて……」
愛する手段を奪われた人形。
その言葉が、雷鳴のように頭で轟いた。
俺が感じていた彼女の不安の正体は、只の寂しさなんかじゃなかった。名前は、俺の隣で、同じ熱量で戦いたかったのだ。俺が"隅っこ"に置いていたんじゃなく、彼女自身が自分を無力な"観客"だと感じて、苦しんでいたのだ。
「……馬鹿だな、俺」
気づけば、俺は彼女の華奢な身体を抱き締めていた。
「そんなわけ、ないだろ……」
俺は彼女の耳元で囁くように、いや、祈るように告げた。
「人形なわけない。名前は、俺の……俺だけの、最高のセコンドだ。いや、監督だ。コーチだ!」
何を言っているのか、自分でも分からなくなってきた。だが、この溢れる想いをどうにかして伝えたかった。
「このアルバムは、どんな作戦ボードより、どんな指導者の言葉より、俺の力になる宝物だ。これがあれば、俺はもっと強くなれる。牛島さんだって、絶対に超えてみせる!」
巻き付けた腕に力を込める。名前の震えが、少しだけ収まった気がした。
「だから、これからも見ていてくれ。俺の全部を。そして、教えてくれ。俺の知らない、俺のことを」
一度、身体を離し、名前の潤んだ双眸を真っ直ぐに見つめる。
「俺のエースは、名前だって言ったけど、訂正する。監督も、コーチも、セコンドも、全部、お前だ。俺の人生は、名前が居ないと完成しない」
彼女の眸から、一粒の涙が零れ落ちた。雫を親指で優しく拭う。
次の瞬間、俺の唇は、名前の柔らかな唇に塞がれていた。それは、今まで交わしたどんなキスよりも、確かな絆の味がした。
「やあ、未来の義弟殿。どうやら、専属アナリストが見つかったようだね」
不意に聞こえた呑気な声の方を振り返ると、いつの間にか部屋のドアが半開きになっており、そこから兄貴さんがひょっこりと上半身を覗かせていた。着替えたらしいTシャツには、胸元に大きく『推し活 ガチ勢』と書かれている。
「っ、兄貴さん!? い、いつからそこに……!」
「『研究記録』と聞こえた辺りからかな。いやあ、素晴らしい情熱だ。俺も新作の構想が湧いてきたよ。『愛する手段を奪われた人形に、翼を与えるウイングスパイカー』……うん、これは泣ける」
「兄貴兄さん、入る時はノックをして、といつも言っているのに」
名前が僅かに頬を膨らませて窘めるが、兄貴さんはどこ吹く風だ。
「まあ、いいじゃないか。それより、工くん。その極秘資料、くれぐれも他校の者に漏洩しないようにね。特に、及川徹くん辺りには要注意だ」
「わ、分かってます!」
嵐のように去っていく兄貴さんを見送り、俺は腕の中に居る世界で一番愛おしい監督を見つめた。
そうだ。俺は一人で戦っているんじゃない。
「……名前」
「うん?」
「次の試合も、頼む。監督」
「……ふふ、任せて」
俺はもう一度、彼女を強く抱き寄せた。
エースになること。そして、名前の隣に立ち続けること。
今、二つの心臓は、一つの完璧なチームになった。