
彼女だけは、その真意を見抜いてくれた――
唯一無二の愛が紡ぐ青春ラブコメディ。
「……苗字さんがもし灰になったら、俺、全部吸い込んででも、ずっと一緒に居るから!!」
昼休みの中庭、春の陽光の下で、まるで燃え尽きる寸前の流星のように、五色工が叫んだその言葉。
あれは紛れもなく、彼の魂の叫びであり、苗字名前への純粋で、どこまでも真っ直ぐな愛の告白だった。その瞬間、彼の世界は名前ただ一人で満たされ、周囲の目など一切気にする余裕はなかった。
――まさか、その魂の叫びが、こんな形で全世界に広まってしまうとは、この時の五色工は夢にも思っていなかったのである。
数日後。
バレーボール関連の情報をチェックしようと、いつものようにスマートフォンでSNSを開いた五色工は、画面に広がる異様な光景に目を疑った。二度見を通り越して、三度見くらいした。
『#重過ぎ男子』
『#灰になっても一緒』
『#一途通り越して灰』
『#告白で火葬前提は草』
トレンドワードに並ぶ、見慣れない、しかし、どこか他人事とは思えないハッシュタグの数々。そして、それらのハッシュタグを辿って表示された動画には……紛れもなく、数日前の自分自身の姿が映し出されていた。
顔には雑な暈しが入れられているものの、特徴的なアホ毛と、何よりあの絶叫気味の、情熱的で、ちょっと……いや、かなり暑苦しい声は、一切加工されることなく鮮明に記録されている。中庭で、愛しの苗字名前に向かって、全身全霊で己の気持ちを叫んだ、あの運命の瞬間。
「もし灰になったら――」の件まで、バッチリと、それはもう完璧なアングルで収録されていた。誰だ、こんなもん撮ったヤツは!? プライバシーの侵害だぞ!!
コメント欄には、
「いや重過ぎワロタwww でも嫌いじゃないw」
「こういう男子、一周回って逆にアリかもしれない……」
「これ見てると謎に元気出るわ。頑張れ、灰吸い込みボーイ!」
「尊い……けど灰は流石に笑う」
といった、同情とも称賛とも嘲笑ともつかない、カオスな反応が溢れ返っている。
「な……なにこれ……マジで俺じゃん……!!」
五色の顔から、サァーッと血の気が引いていく。心臓が、あの告白の瞬間とはまた違う種類の、もっと破滅的なリズムで激しく鼓動し始めた。まるで、試合中に致命的なミスを犯してしまった時のような、絶望的な感覚。
「やっっっっっば……!! もう、学校行けない……!! 灰どころか、俺が今、過充電で消滅寸前……!!」
頭を抱え、その場に蹲る。フローリングの冷たさが、妙に心地よく感じられる。いっそ、このまま床と一体化してしまいたい。
そんな五色の絶望に追い打ちを掛けるように、手の中のスマートフォンが軽快な通知音を鳴らした。ディスプレイに表示されたのは、白鳥沢学園バレー部のトリックスター、天童覚からのメッセージだった。
『工~~~ッ!! 例の動画、見た見た!! マジで言ったの!? 「灰」ってwwwww しかも、あの勢いwww あー、動画じゃなくて生で見たかったわ~~~!! 今度、俺の前でもう一回再現してくんない?』
「やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
五色の絶叫が、寮の部屋に虚しく響き渡る。
スマートフォンをベッドの上に叩き込むように投げ付け、布団の中に頭から突っ込んで顔を埋めた。現実から逃避するかのように。この忌まわしい記憶を脳内から完全にデリートしてしまいたい。だが、一度、ネットの海に放たれたデジタルタトゥーは、そう簡単には消えてくれないのだ。
しかし、時間は無情にも過ぎていく。
翌日。
五色は処刑台へと向かう罪人のような足取りで、恐る恐る登校した。教室のドアを開ける指先が微かに震えている。クラスメイト達の視線が、いつもより鋭く感じられる。廊下ですれ違う生徒達が、ヒソヒソと何かを噂しているような気さえする。
(ああ、もうダメだ……。俺は今日、ここで社会的に死ぬんだ……)
だが、意外なことに、周囲の空気は確かに少しざわついてはいたものの、誰も露骨に五色を笑ったり、馬鹿にしたりするような素振りは見せなかった。
(……あれ? 思ったより……普通……?)
拍子抜けするくらいの平穏な状況に、五色は内心で首を傾げた。もしかしたら、自分が思っている程、皆、あの動画を観ていないのかもしれない。或いは観たとしても、すぐに飽きて忘れてしまったとか……? 淡い期待が胸を過る。
そう思った、正にその時だった。
ぽん、と肩を叩く、繊細な感触があった。
「おはよう、五色くん」
恐る恐る振り返ると、そこには、彼の心の太陽であり、そして、今回の騒動の間接的な原因でもある、苗字名前が立っていた。
いつもと変わらない、穏やかで不思議な雰囲気を纏っている。けれど、その大きな瞳はどこか常よりも優しく、慈愛に満ちた光を湛えているように見えた。
「SNSの動画、観たよ」
名前の静かな声が、五色の鼓膜を震わせる。
来た。遂に来た。審判の時が。
五色の顔が見る見るうちに、リンゴのように真っ赤に染まっていく。
「……っ! ご、ごごご、ごめんっ!! あんな、恥ずかしいこと言って、本当にごめんなさ――」
パニックでしどろもどろになりながら謝罪しようとした五色の言葉を、名前はそっと、その細い指先で、彼の唇に触れることで遮った。その仕草は壊れ物に触れるかのように優しかった。
「ううん。あれは、五色くんの、本気の言葉だったでしょう?」
名前の声は静かで、真っ直ぐで、暗闇の中に灯る一本のロウソクの炎のように温かく、五色の心を照らした。
「わたし、あの時の五色くんの言葉、今でも、とても嬉しいよ」
その言葉は、どんな慰めよりも、どんな励ましよりも、五色の荒れ果てた心に深く染み渡った。
「……で、でも、ネットで、散々ネタにされてたのに……?」
五色はまだ信じられないと言うように、か細い声で問い返す。
「うん。正直に言うと、コメントを見て、少し笑ってしまった部分もあるけれど」
名前は悪戯っぽく微笑んでから、すぐに真剣な表情に戻った。
「でもね、五色くん。他の人がどう思うかなんて、わたしにとっては些細なことだよ。重いとか、変とか、そういう表面的なことじゃなくて、わたしにとって、あの言葉はとても特別で、掛け替えのないものだよ」
そして、名前はふっと、春の陽だまりのような柔らかな笑みを浮かべた。
「ねえ、五色くん。五色くんは、わたしの"唯一無二の変人"だね」
一瞬、時間が止まった。
いや、五色の心臓の鼓動だけが、自分の耳に煩い程に大きく、そして激しく鳴り響いていた。
"唯一無二の変人"――。
その言葉が魔法のように、五色の心の中に深く、深く、染み込んでいく。
変人。確かに、あの告白は常軌を逸していたかもしれない。けれど、名前はそれを否定するのではなく、「唯一無二」という、この上なく肯定的な言葉で包み込んでくれたのだ。
「……っ、そ、それ……俺、今、なんか、涙腺に、ダイレクトアタックされた……」
目頭がじわりと熱くなり、視界が滲んでいく。鼻の奥がツンとして、堪え切れずに涙が一筋、頬を伝った。
「そ、そんなこと言われたら……俺、また、灰になる勢いで、嬉しいんだけど……!! 過充電で、今度こそ本当に消滅しちゃうかも……!!」
嗚咽混じりの声でそう叫ぶと、名前はその反応にくすりと小さく笑い、そして悪戯っぽく片目を瞑った。
「じゃあ、次は屋上で、もう一回言ってもらおうかな。もし灰になっても大丈夫なように、風通しのいい、景色の綺麗なところでね」
「え、えええええ!? ま、待って、心の準備がああああ――っ!! しかも屋上って、ハードル上がってない!?」
五色の絶叫が、白鳥沢学園の廊下に響き渡った。
しかし、その顔は先程までの絶望感とは打って変わって、飛び切り幸せそうな、そして少し困ったような、複雑な表情を浮かべていた。
"唯一無二の変人"――。
その言葉は誰よりも真っ直ぐで、不器用なまでに純粋な彼を肯定してくれる、たった一人の愛する人からの、最高の愛の証。
例え世界中の人間から笑われようと、SNSでどれだけネタにされようと。
五色にとっては、名前からのその一言こそが、他の何にも代え難い、掛け替えのない宝物なのだった。
そして、この日を境に白鳥沢学園では「灰になっても一緒」が一部の生徒の間で、愛の告白の新たな(そして、少々過激な)スタンダードとして、実しやかに語り継がれることになったとか、ならなかったとか……。それはまた、別のお話。