30.ならば遺灰を吸い込み一つになろうと

愛とは、吸い込むこと――遺灰ポエムで心臓ブレイク。

 目の前には、苗字さんが居る。  春の柔らかな日差しを浴びて、いつもより少しだけ、その表情が穏やかに見えるのは気のせいだろうか。彼女の吸い込まれそうな程に深い色の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えている。その視線に射抜かれる度、心臓が肋骨を突き破って飛び出しそうになる。  天童さんの「当たって砕けろ!」と言う声が脳内でリフレインする。いや、砕けちゃダメだ。ちゃんと、自分の言葉で伝えなければ。今朝の練習を思い出せ。「好きです」――たったそれだけの言葉がこれ程までに重く、難しいなんて。  いざ彼女を目の前にすると、練習通りになんて到底行きそうもない。  でも、もっとこう、腹の底から湧き上がってくるこの感情の奔流をありのままにぶつけたい。昨夜のボイスメモは確かに事故だったかもしれないけれど、あの時、布団の中で紡いだ気持ちは紛れもない本物だ。焼け野原同然だった俺の心に、苗字さんの言葉が慈雨のように降り注いで、今、正に新しい何かが力強く芽吹こうとしている。それを伝えたいんだ。 「俺……俺は……!」  言葉が喉の奥でつっかえて、上手く出てこない。だが、ここで退くわけにはいかない。バレー部のエースとして、そして、一人の男として。 「苗字さんのことが……っ、好きだ! 物凄く!」  言えた。なんとか、第一関門は突破した。  けれど、これだけじゃ全然足りない気がする。もっと、もっと伝えたい。この、どうしようもないくらいに高鳴る胸の鼓動を。苗字さんが居ないだけで、俺の世界から色彩が失われてしまうこと。彼女の笑顔一つで、重力なんてないみたいに空だって飛べそうな気持ちになること。苗字さんが隣に居てくれるだけで、どんな困難だって乗り越えられる勇気が湧いてくること。  頭の中で、伝えたい言葉が嵐のように渦巻いている。  どの言葉を選べばいい? どう表現すれば、この想いの百分の一でも彼女に届く?  試合で牛島さんにトスが上がった瞬間の、あの複雑な高揚感とも違う。もっと個人的で、もっと切実で、途方もない幸福感と焦燥感がごちゃ混ぜになった、名前の付けられない感情。そうだ、この気持ちは……。 「苗字さんが笑ってくれるなら、俺、なんだってできる気がする! 例え火の中、水の中、バレー部の地獄の猛練習の中だって、乗り越えてみせる!」  あれ、なんだか方向性が……? でも、もう止まらない。言葉が勝手に口を衝いて出てくる。 「苗字さんがもし悲しい顔をしていたら、俺、地球の裏側までだって飛んで行って慰めるし、なんなら地球ごと抱き締めて温めたいくらいだ!」  どんどんスケールが壮大になっている自覚はある。でもこれが、今の俺の本心なんだから仕方ない。 「そして……っ、もし……もしも、苗字さんが……」  一瞬、言葉が途切れる。  彼女の存在が、俺にとってどれ程に大きなものか。もし、彼女がこの世界から居なくなってしまったら……そんな恐ろしいこと、考えたくもない。でも、もし、万が一、そんな時が訪れたとしても。俺の覚悟は決して揺らがない。 「……苗字さんがもし灰になったら、俺、全部吸い込んででも、ずっと一緒に居るから!!」  言った。  言ってしまった。  中庭に春の穏やかなそよ風が、木の葉を揺らす音を運んでくる。どこかで鳥の囀りが聞こえる。なのに、俺の周囲だけ、真空地帯のように時間が止まってしまったみたいだ。  苗字さんは大きな美しい瞳をぱちくりと瞬かせている。  え、引かれた……? やっぱり、引かれたのか……!?  そうだ、灰ってなんだよ、灰って! 火葬前提かよ、俺は! なんでそんな縁起でもない不吉なこと口走ってんだ! もっとこう、少女漫画みたいなロマンチックな……いや、俺にロマンチックなセリフなんて、天地が引っ繰り返っても無理か……。でも、これは流石に……。  顔から火が出るどころじゃない。全身が燃え上がって、俺自身が灰になりそうだ。正に、自ら焼け野原にヘッドスライディング。  ああ、天童さんが後でこの話を聞いたら「ちょっと工、重過ぎ~、でもウケる!」って爆笑しそうだな……。でも、苗字さんにとっては……どうなんだろう。もしかしたら、こんな俺だからこそ、彼女の中で"唯一無二"な男になれたり……しないかな……? なんて、都合のいいことを考えてしまうくらいには舞い上がってる。  苗字さんの唇が、ゆっくりと動く。 「……ふふっ、じゃあ、灰になったら一緒に居てくれる?」  えええええ!?  そ、そこ、肯定しちゃうんですか、苗字さん!?  俺のトンデモ発言、華麗にスルーされるんじゃなくて、まさかのアンサー!?  一瞬にして、頭が真っ白になり掛ける。  いや、待て、落ち着け俺。これはもしかして、チャンスなのか?  でも、灰って……やっぱりダメだろ! 生きてる今が、何よりも大事なんだ! 「っ……!! い、いえ、生きてる今からずっと一緒がいいです……!!」  殆ど叫ぶように、言葉が口から飛び出していた。  そうだ、これが言いたかったんだ! 灰になる遥か未来のことじゃなくて、今、この瞬間から、ずっと、彼女の傍に居たい。 (な、なんで、俺は火葬前提のセリフなんて言ったんだ……ッ!? いやでも、苗字さん、ちょっと、ほんの少しだけ、嬉しそう……だった、か? いや、わからん!! 俺の情緒はもう限界だ!!)  心の中で、自分自身に激しくツッコミを入れる。もう自分の思考回路がショート寸前で、正常に機能している自信がない。
 五色くんの、殆ど悲鳴に近いような、けれど切実な声が、春の柔らかな日差しの中に溶けていく。 「生きてる今からずっと一緒がいいです……!!」  その言葉を聞いた瞬間、わたしの中で何かがふわりと解けていくような、温かい感覚が広がった。先程までの、五色くんの奇想天外な愛の言葉の連続。それは、聞く人が聞けば「重過ぎる」と評するのかもしれない。けれど、彼の真っ直ぐな瞳と必死な表情、そして何より、その言葉の端々から滲み出る純粋な想いは、どんな美辞麗句よりも強く、わたしの心を揺さぶった。 「苗字さんがもし灰になったら、俺、全部吸い込んででも、ずっと一緒に居るから!!」  あの言葉。  一瞬、時が止まったように感じた。彼の、どこまでも真剣な眼差し。少し上擦ってはいたけれど、力強い声。見る見るうちに赤く染まっていく頬。そして、余りにも突拍子のない、けれど、彼の純粋さがこれ以上ない程に凝縮されたような言葉。  灰になったわたしを、彼が吸い込んでくれる……?  それはつまり、どんな形になったとしても、わたしという存在の全てを、彼自身の中に取り込んで、永遠に共に在りたいと、そう言ってくれているのだろうか。  普通に考えれば、少し、いや、かなり風変わりな愛の表現かもしれない。  けれど不思議なことに、五色くんが口にすると、彼の飾らない真っ直ぐな想いだけが鮮やかに胸に届く。心の奥底が擽ったいような、温かいような、今まで感じたことのない甘美な感覚に満たされていく。  だから、思わず「じゃあ、灰になったら一緒に居てくれる?」なんて、少し意地悪な問い掛けをしてしまったのだ。彼の言葉を、わたしが確かに受け止めたという証として。そして、彼がどんな顔をするのか、ほんの少し見てみたかったという、わたしの小さな好奇心も混じっていたかもしれない。  彼の「生きてる今からずっと一緒がいいです……!!」と言う必死な声は、わたしのそんな小さな意地悪さえも吹き飛ばしてしまう程、力強くて、そして愛おしかった。  うん、それでこそ、五色くんだ。  不器用で、どこまでも真っ直ぐで、そして、誰よりも熱く激しい想いをその胸の内に秘めている。  彼のその"重さ"こそが堪らなく愛おしいのだ。誰にでも言えるような、有り触れた軽い言葉じゃない。わたしだけに向けられた、彼だけの、唯一無二の想いの形。それが、彼の少し風変わりな表現から、痛い程に伝わってきたのだから。 「うん。わたしも、五色くんと、今からずっと一緒に居たい」  今度はわたしから、真っ直ぐに、彼の瞳を見つめて言った。  もう慣れない駆け引きも、もどかしい距離も要らない。  わたしの心も、彼と同じように喜びと期待で大きく、そして確かに高鳴っているのだから。  五色くんは、わたしの言葉を聞いて、一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような、きょとんとした顔をした。  そして、次の瞬間、今まで見たことがないくらい、ぱあっと明るく輝いた。それはまるで、試合で最高のスパイクを決めた時のような、誇らしげな達成感と純粋な喜びに満ちた表情。でも、それ以上に、もっと個人的で、もっと温かくて、優しい光をその瞳に宿していた。  中庭のベンチに座ったまま、わたしは彼を見上げる。彼はまだ立ったまま、少し照れ臭そうに頬を掻きながらも、嬉しさを隠し切れない様子で、わたしを見下ろしている。春の柔らかな陽光が、彼のトレードマークであるアホ毛をきらきらと金色に照らし出していた。  焼け野原同然だったお互いの心に恵みの雨が降り注ぎ、そして、今、確かに新しい緑が鮮やかに芽吹いたのを感じる。  わたしと、彼の心の中に。  この、少し変わった愛の言葉から始まった、わたし達の物語。  きっと、これからもっと色鮮やかに二人の世界を彩っていくのだろう。そう確信にも似た予感が胸いっぱいに広がっていくのだった。


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