天童覚の誕生日、彼女は"独占"を口実に秘めた想いを届ける――赤に染まる午後のお話。
Title:君を独占する口実
五月二十日、日曜日。空は一点の曇りもなく晴れ渡り、初夏を思わせる陽光が惜しげもなく降り注いでいた。けれど風はまだどこか春の名残を留めていて、頬を撫でる感触は心地よい。白鳥沢学園の敷地から響いてくる運動部の溌剌とした掛け声が、そろそろ部活の終わりを告げている。そんな昼下がり、わたし、
苗字名前は公園のベンチに腰掛け、トートバッグからそっと小さな箱を取り出した。丁寧に結ばれた純白のリボンは日差しを受けて柔らかく輝き、中身の重みと共に、わたしの手のひらに確かな温もりを伝えてくる。
「覚くん、ちゃんと来るかな」
吐息と共に零れた呟きは、風に揺れる咲き遅れたツツジの薄紅色の花びらに、そっと吸い込まれていった気がした。彼の誕生日である今日、わたしはささやかな企みを胸に秘めていた。天童覚の為に選び抜いた贈り物と――そして、彼を独占する、甘い口実。
わたしと覚くんが出会ったのは、一昨年の夏のこと。バレー部の試合を観戦すると言う友人に付き添ったのが切っ掛けだった。熱気の渦巻く体育館のコートの中で、一人だけ重力から解き放たれたように予測不能なリズムで跳ね、舞う彼に、わたしは一瞬で心を奪われたのだ。それからは何度も偶然を装って会い、言葉を交わし、彼の不思議な魅力に惹き付けられて……今では、こうして二人で会う約束をする関係になっている。
「覚くん、今日も120点を取れるくらい、ご機嫌だといいな」
また独り言が唇を滑り出る。彼は、わたしの問い掛けに、いつも即座に明快な答えを返してくれるタイプではない。けれど、その沈黙の中に潜む"言葉未満"の感情の揺らぎや、ふとした瞬間に見せる素顔を読み解くのが、わたしは堪らなく好きだった。
その時、わたしの思考を読んだかのように、背後からの弾むような声が鼓膜を揺らした。
「
名前ちゃん、はっけーんっ♪」
不意打ちに心臓が小さく跳ね、慌てて振り返ると、逆光の中に鮮やかな赤い髪が、太陽の輪郭を縁取るようにして立っていた。相変わらず、覚くんは人混みの中でも一等星のように輝いて見える。その姿を認めた瞬間、待っていた間の小さな不安が霧散し、胸の奥に温かい灯火が燈るのを感じた。
「待たせたー? ねぇねぇ、俺、遅刻してないよね? してたら、今から超特急で時間巻き戻しちゃうから!」
大袈裟な身振りを交えながら駆け寄ってくる彼に、自然と笑みが零れる。
「していないよ。わたしも、今来たところだから」
にっと悪戯っぽく笑った彼が、わたしの隣にするりと腰を下ろす。その距離が以前よりもずっと自然で、近くなったことが素直に嬉しかった。わたしは膝の上で温めていた小箱を、覚くんにそっと差し出した。
「誕生日、おめでとう、覚くん」
「わぁっ! なになに? 開けてもいい?」
子供のように目を輝かせ、けれど意外な程の丁寧な手つきでリボンを解き、そっと蓋を開ける。中から現れたのは、深紅のガラス玉を二つ連ねたペンダント。それは陽光を拾う度、彼の燃えるような髪の色をそのまま溶かし込んだかのように、情熱的な赤い煌めきを放った。
「……これ、俺の髪の色?」
覚くんの問いに、わたしは小さく、はっきりと頷く。
「うん。……わたしが一番好きな、覚くんの色」
言葉にした瞬間、彼の動きがぴたりと止まった。大きく見開かれた瞳が、わたしの顔とガラス玉を交互に見つめる。その数秒の沈黙が、わたしには永遠のように長く感じられた。わたしの言葉の奥にある、伝え切れない想いの欠片を、一つひとつ拾い集めているのがわかるような気がした。
「え、ちょ、待って。え、え、俺って今、もしかして、殺されそうなほど愛されてる感じ?」
漸く絞り出した彼の声は、いつもの軽快さとは裏腹に、少しだけ掠れていた。
「大丈夫。今日は殺さないよ」
「ヒェェエッ、それ逆に怖いヤツー!! 今日限定なの!? 明日はどうなっちゃうの俺ー!?」
大袈裟に仰け反って叫ぶ彼に、思わず堪え切れずに吹き出してしまった。こんな風に他愛ないことで笑い合える時間が、掛け替えのない宝物だと感じる。覚くんを独占したい、という衝動にも似た願いが、このプレゼントを選ぶ時からずっと胸の奥で燻っていた。誕生日という特別な日を口実にして、彼の時間を、彼の笑顔を、ほんの少しでもいい、わたしだけのものにしたかったのだ。
「ねぇ、
名前ちゃん」
不意に真面目なトーンで、覚くんがわたしを見つめた。
「なに?」
「今日、
名前ちゃんの部屋、行ってもいい?」
それはいつもの彼らしい、予測不能な軌道を描くサーブのような提案だった。けれど、誕生日にそんな言葉を囁くなんて、少し、いや、かなり狡いと思う。心臓が期待と戸惑いの間で大きく揺れた。わたしの返事を待つ彼の瞳が、真剣な光を宿している。
「……今日だけ、特別、だから」
やっとの思いで絞り出した声は、自分でも驚く程に小さく震えていた。けれど、その返事を聞いた彼の顔が、ぱあっと満開の花のように綻んだのを見て、ああ、この選択は間違っていなかったのだと、胸の奥が温かいもので満たされるのを感じた。
「わぁいっ、やったー! 覚クン、幸せ過ぎて死なないように、全力で気を付ける!!」
彼はそう言って、わたしの手を大きな両手で包み込むように握った。その手指から伝わる熱が、わたしの心までをもじわりと温めていく。
――彼を独占したいと願った。でも、その熱い眼差しや強く握られた手の感触から、きっと、彼も同じ気持ちでいてくれているのだろうと、そう思えた。
五月二十日。突き抜けるような青空の色と、風が運んでくる甘酸っぱいツツジの香り。そして、彼の赤い髪と同じ色をしたペンダントに映り込む、わたし達、二人の影。
その全部が、今日だけは、わたし達だけのものになるようにと、心の中でそっと願った。
「ねぇ、
名前ちゃん。今日の俺、何点?」
悪戯っぽく笑いながら、覚くんがわたしの顔を覗き込む。
「……120点、だね」
そう答えると、覚くんは満足そうに、わたしの手をもっと強く握り締めた。
うっわ、マジか。
名前ちゃんから差し出された小さな箱。丁寧に結ばれたリボンを解く指先が、自分でもわかるくらいにちょっと震えてた。だって、
名前ちゃんが俺の為に何かを選んでくれたってだけで、もう心臓バックバクなんだもん。
そーっと蓋を開けたら、中には真っ赤なガラス玉のペンダント。太陽の光を浴びて、キラッキラしてる。綺麗だなぁって思った瞬間、ハッとした。この色、俺の髪の色じゃん。
「……これ、俺の髪の色?」
思わず声に出た。そしたら、
名前ちゃん、こくんって頷いて、
「うん。……わたしが一番好きな、覚くんの色」
って……え、ちょ、え?
好き? 俺の、この目立ち過ぎる髪の色を? しかも「一番」って言った?
頭の中で、
名前ちゃんの言葉がぐわんぐわん反響する。まるで、若利くんのスパイクが至近距離で炸裂したみたいな衝撃。いや、それ以上かも。だって、若利くんのスパイクは物理だけど、
名前ちゃんの言葉は、俺の心臓にダイレクトアタックなんだもん。
「え、ちょ、待って。え、え、俺って今、もしかして、殺されそうなほど愛されてる感じ?」
なんかもう、わけわかんないこと口走ってた。だって、こんなストレートな愛情表現、心臓に悪過ぎるって!
「大丈夫。今日は殺さないよ」
名前ちゃんがくすって笑いながら言うけど、その「今日は」が怖過ぎるんですけどー!? 明日の俺の命は保証されてないの!? まぁ、
名前ちゃんに殺されるなら本望だけどねっ! なんつって!
でも、本気で嬉しかった。このペンダント、絶対、毎日着ける。お風呂入る時も寝る時も、練習中ですら、こっそり服の下に着けちゃうもんね。そんで、ゲスブロック決める度に「今日の俺、
名前ちゃんパワーで120点!」って心の中で叫ぶんだ。
彼女の隣に居るだけで、世界がキラキラして見える。この、ふわふわした幸せな気持ちを、もっと、もっと味わいたい。
名前ちゃんを、俺だけのものにしたい。そんな独占欲が、胸の奥からむくむくと湧き上がってくるのがわかった。
誕生日だから? いや、違う。誕生日じゃなくても、俺は
名前ちゃんの傍に居たい。ずっと。
「ねぇ、
名前ちゃん」
気づいたら、声が出てた。
「今日、
名前ちゃんの部屋、行ってもいい?」
言っちまった。でも、後悔はしてない。だって、今日は俺の誕生日だ。少しくらい、ワガママ言っても許されるよね? って言うか、許してほしい! お願い!
名前ちゃんがちょっと驚いたみたいに目を見開いて、それから……頬をほんのり赤く染めて、小さな声で、
「……今日だけ、特別、だから」
って。
キタ――――――ッ!!!
俺の心の中で、特大のガッツポーズとスタンディングオベーションが巻き起こる。脳内BGMは勿論、自作の歌だ。
「わぁいっ、やったー! 覚くん、幸せ過ぎて死なないように、全力で気を付ける!!」
思わず、
名前ちゃんの手をぎゅって握っちゃった。柔らかくて、少しひんやりした肌の感触がめちゃくちゃ心地いい。この手を、ずっと離したくない。
公園を出て、彼女のマンションに向かう道すがらも、俺の心臓は喜びで踊り続けていた。隣を歩く、
名前ちゃんの横顔を盗み見る。日差しに透ける髪が綺麗だ。時折、風にふわりと揺れる髪糸から漂う、甘くて清潔なシャンプーの香り。あー、もう、全部が好き過ぎる!
「ねぇ、
名前ちゃん。今日の俺、何点?」
マンションのエントランスが見えてきたところで、俺はわざとらしく聞いてみた。
「……120点、だね」
名前ちゃんが、少し照れたみたいに笑いながら答えてくれる。
うん、知ってる。今日の俺、間違いなく人生最高の120点だ。だって、これから大好きな
名前ちゃんと、二人きりの時間を過ごせるんだから。
エレベーターの中で、無言の時間が流れる。でも、気まずさなんて欠片もない。寧ろ、この静寂が期待感を高めていく。
彼女が鍵を開けてドアを開けると、ふわりと、
名前ちゃんだけの特別な香りが、俺を包み込んだ。
ああ、帰ってきた、って感じ。
今日という一日が、ただの誕生日じゃなくて、俺と
名前ちゃんにとって、もっともっと特別な一日になる。そんな確信にも似た予感が、俺の胸を熱くしていた。