プレゼンテーション・オブ・名前名前の素晴らしいところ、百選 ~公開処刑編~

 腕の中に閉じ込めた体温が、ジャージ越しにじんわりと伝わる。シャンプーの香りが、彼女自身の肌が持つ甘い匂いと混じり合い、鼻腔を満たす。それだけで、心臓が莫迦みたいに跳ねた。さっきの告白の返事である「わたしもだよ」と云う囁きが、未だ耳の奥で砂糖菓子みたいに響いている。 「……それで、工くんが見た夢って云うのは?」  胸元で僅かに身動ぎながら、名前が顔を上げ、俺を見つめた。双眸が明け方の静かな光を吸い込み、凪いだ湖面のように澄んでいる。先程、勢い余って口走った「俺も、名前の夢を見ることがある」と云う言葉を、彼女は流してくれないらしい。 「あ、いや、それは……その……」  途端に、沸騰したように熱かった頬の温度が、更に一度上がるのを感じた。名前が見たと云う、乳首の箇所だけが刳り抜かれた、紫のツナギの夢。あれに比べれば、俺の夢なんて、遥かに常識的だ。だけど、内容が内容なだけに、素直に話すのが途轍もなく気恥ずかしい。 「聴きたいな」  控え目に傾げられた首。長い睫が瞬きと共に影を落とす。純粋な好奇心で満ちた眼差しに、俺は弱い。ぐ、と喉を詰まらせた後は観念し、ぽつりぽつりと語り始めた。 「……体育館に、居たんだ」  そう、あれは夢だった。  だけど、現実よりも、ずっと鮮明な光景だった。  俺が立っていたのは、いつも練習で汗を流す白鳥沢の体育館、ではなかった。もっと巨大で、だだっ広いアリーナ。天井からは幾つものスポットライトが降り注ぎ、観客席は三階席の隅々まで、人々の熱気で埋め尽くされている。何かの決勝戦だろうか。いや、違う。誰も彼もが、コートの中心で佇む俺一人に、固唾を飲んで注目していた。  俺の服装はユニフォームじゃなくて、中学の頃に着ていた、少しサイズの合わない学ラン姿だった。手にもバレーボールではなく、一本のマイクが握らされている。騒めきが波のように引き、観覧席は水を打ったかの如く静まり返った。 『それでは、五色工選手による、プレゼンテーションを開始します! テーマは、こちら!』  どこからか響くアナウンス。同時に頭上の巨大なモニターへ、明朝体の大きな文字が映し出された。  ――苗字名前の素晴らしいところ、百選。 「は……?」  俺は呆気に取られた。だが、観客達は「待ってました!」とばかりに沸き立ち、割れんばかりの拍手と指笛が轟く。逃げ場はない。俺はごくりと喉を鳴らし、腹を括った。そうだ、名前の魅力を伝えるなんて、お手の物じゃないか。誰が来たって、力で捻じ伏せるように、情熱で語り尽くせばいいだけだ。 「えー、先ず一つ! 笑顔が世界一可愛いところです!」  マイクに向かって叫ぶと、観客席から「「「ウォォォォォ!!」」」と云う地鳴りのような歓声が上がった。俺は一気に調子に乗る。 「二つ! 髪から、いつも良い匂いがするところ! 三つ! 料理がプロ並みに上手いところ! 四つ! 俺のバレーを、誰よりも真剣に応援してくれるところ!」  俺が一つ挙げる度に、会場のボルテージは最高潮に達する。気分は優勝へ導くスパイクを叩き込む瞬間に似ていた。そうだ、もっと、もっとだ。名前の素晴らしさを、世界中の人間全てに知らしめてやる。  その時だった。ふと視界の端に、見慣れた姿を捉えたのは。  最前列の、関係者席と書かれた場所に、名前がちょこんと座っていた。いつから居たのだろう。彼女は頬杖を突き、俺の独演会を楽しそうに眺めている。  目が合った。  瞬間、俺の心臓が、鷲掴みにされたかの如く軋んだ。  名前の瞳が、いつもと違ったのだ。  穏やかで、全てを受け入れてくれる深い色合いではない。挑発的で、悪戯っぽくて、俺の全部を見透かすような、どこか意地悪な光を宿していた。唇の端が、微かに吊り上がっている。面白い玩具を見つけた、子供みたいな笑みだった。  その眼差しに射抜かれた途端、俺の口は、自分の意思とは全く無関係に、滑らかな運動を始めた。 「ご、五十五! 実は面積の少ない下着を好むところ!」  シン、とアリーナが静まり返る。  しまった、と後悔する間もなく、俺の舌は更に暴走を続けた。 「五十六! 寝てる時の無防備な唇が……その、非常にそそられるところ! 五十七! 時々、俺を試すみたいに上目遣いをしてくるところが、あざとくて、でも、堪らなく可愛いところ!」  もう駄目だ。観客席からは、先程までの熱狂とは質が違う、どよめきとヒソヒソ声しか聞こえない。全身の毛穴と云う毛穴から、羞恥の汗が噴き出した。顔はきっと、茹蛸のようになっているだろう。  助けを求めるように、名前を見る。彼女は楽しそうにくすくすと肩を揺らし、唇の動きだけで、こう強請った。  ――もっと聴かせて?  どこまでも愉快そうな仕種と、意地悪な目許。  そのコンビネーションは、ブロックの僅かな隙間を抜くストレート打ちよりも正確に、理性のど真ん中を撃ち抜いた。 「あああああ!!」  羞恥と、それとは別種の熱い感情が限界を突破して、俺は意識を失った。 「……と、云う夢だったんだ」  語り終えた俺は、名前の胸へ額を埋めるようにして俯いた。もう、彼女の目を真面に見られない。なんて夢だ。俺の潜在意識は一体、どうなっているんだ。  暫く、沈黙が流れた。  軈て頭上から、堪え切れないと云った風情の小さな笑い声が降ってきた。恐る恐る顔を上げると、名前が夢の中と全く同じ表情で、俺を見下ろしていた。  悪戯っぽく細められた諸目。楽しそうに弧を描く唇。 「ふぅん。わたしの素晴らしいところ、まだ続きがあるんだよね?」  名前は、俺の頬にそっと手を添え、耳元で囁いた。吐息が直接鼓膜を震わせ、ぞくりと背筋が粟立つ。 「今、ここで聴かせてくれる?」  デジャヴ。夢と現実が溶け合って、俺の思考回路は完全にショートした。 「先頭文字先頭文字名前――――っ!」  情けない悲鳴を上げ、俺は目の前の愛しい彼女に力いっぱい抱き付いた。もう、どうにでもしてくれ。 「ふふ、冗談だよ」  俺の背中を優しく撫でるけど、その声には、未だ笑いの色が滲んでいる。  俺はきっと、一生、この子に敵わない。  不可解で、掴みどころがなくて、時々、こうして意地悪な瞳で、俺を翻弄する。  でも、そんな彼女の全てが、どうしようもなく好きなんだ。  俺は熱いままの頬を、名前の肩口に押し付けた。半分程度しか語り尽くせていない「素晴らしいところ」の続きは、これから先の時間を使って、言葉だけじゃなく、全身で伝えていけばいい。そう考えながら、俺はもう一度、彼女を強く抱き締めたのだった。



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