効果は治まった筈なのに、今度は素で告白してた俺の末路
お題:一億万年
床に突っ伏して数分。いや、体感では数時間にも感じられたカオスな時間の後、漸くじわじわと全身を支配していた奇妙な高揚感が引いていくのを感じ、俺はのろのろと身体を起こした。だけど、顔の熱は依然として引かず、頭の中は先程までの奇行に対する自己嫌悪の嵐が吹き荒れていた。プロポーズって……俺、一体全体、何を口走ってたんだ……!? ただでさえ、普段から空回り気味だってのに、今日は輪を掛けてヤバかった。もう、穴があったらマントル層まで潜りたい気分だ。
……でも。
ふと視線を上げると、ダイニングテーブルの向かい側、斜め前にちょこんと座る名前が、白い頬を夕焼けみたいにほんのり赤く染めて、長い睫毛を伏せている姿が目に入った。その小さな肩が微かに震えている。
その瞬間――
ドクン。
静まり掛けていた筈の心臓が、誰かに鷲掴みにされたみたいに、有り得ない勢いで大きく跳ね上がった。
「……っ、な、なんか……また来た……!? もしかして、効果……まだ、続いてる……!?」
脳内でけたたましい警報が鳴り響く。ヤバい、これは非常にマズい流れだ。さっきまでの記憶が鮮明に蘇り、冷や汗が背中を伝う。でも、もう遅かった。
ふわっと、心のスクリーンに、名前の困ったような、それでいて優しい笑顔が浮かぶ。
俺の為に一生懸命作ってくれた、あのカレイの煮付け。
そして、俺が支離滅裂なことを口走った後、消え入りそうな声で、でもはっきりと告げてくれた「嫌じゃなかったよ」って言葉――
……ああ、ダメだ。理性のタガが、またしても勢いよく吹っ飛びそうだ。思考よりも先に感情が、言葉が、溢れ出してくる。
「……名前」
気づけば、俺は彼女の名前を呼んでいた。さっきみたいな、自分でも制御不能な爆発的な勢いじゃなくて、もっと……ずっと深く、静かで、けれど抑え切れない熱を帯びた響き。言葉を選ぼうとしたのに、口が勝手に、心の奥底にあるものを紡ぎ出そうとする。
「さっきは、その……あんな訳の分からないテンションで、本当にごめん……。でも、言ったことは、本当だから。お前が作ってくれたカレイの煮付け、俺の人生で一番美味しかったし、本当に、めちゃくちゃ嬉しかった。……なんか、もう……そういうの全部ひっくるめて、すげぇ……好きだって、思ったんだ」
言葉尻が、自分でも驚く程に熱っぽくなる。
「……えっ」
名前がびくりと肩を震わせ、伏せていた顔をゆっくりと上げた。夜の深海を思わせる大きな瞳が、驚きと、それから……何か別の感情を映して、俺を真っ直ぐに見つめている。その声に、その視線に、俺はハッと我に返る――けど、もう遅い!!
「ま、待って!? 待ってくれ、名前! 今の、今のナシ! 絶対、ナシだから! 俺じゃない! これは、その、漢方薬! そう、兄貴さんのスペシャルブレンド漢方薬の所為だから!! 俺の純粋な本心とかじゃ、断じて、ないからな!!」
必死に両手を振って弁解する俺の姿は、傍から見たら相当滑稽だろう。顔から火が出そうだ。いや、もう出てる。全身から湯気が出てるかもしれない。
すると、名前が小さく俯いて、口元にそっと手を当てた。肩が小刻みに揺れている。
「……ぷっ」
「え、えっ!? な、なんか、今、笑った!? え、名前!? 俺、今、本気で人生最大級に焦ってて、心臓バックバクで、もうどうにかなりそうなのに、笑った!?」
信じられない、という思いと、ほんの少しの安堵と、そしてやっぱり羞恥心で、俺の感情はぐちゃぐちゃだ。
名前は堪え切れないと言うように、くすくすと可愛らしい笑い声を漏らしながら、やがてゆっくりと顔を上げた。その瞳は悪戯っぽく細められ、潤んだ光を宿している。そして、ぽつりと大切な秘密を打ち明けるみたいに、こう呟いた。
「……じゃあ、その"効果"……あと一億万年くらいは続いてくれても、わたしは嬉しいよ」
「………………」
時が止まった。
いや、俺の脳内のCPUが完全にフリーズした。
意味は分かってる。分かってるんだ。分かり過ぎてる。分かり過ぎているからこそ――思考が追いつかない。いや、違う。言葉を失うって、こういうことか。
「……おい、それ……反則だろ……」
絞り出した声は、自分でも驚く程に掠れていた。顔がさっきよりも、更に熱くなっているのが分かる。くそ、心臓が、もう限界突破するくらい速く脈打ってる。俺、今、多分……一億万年分の"好き"が、胸の中で大爆発を起こしてる。
俺はゆっくりと、数歩、名前の傍へ歩み寄った。彼女は少し驚いたように、俺を見上げている。その潤んだ瞳に、俺の姿が映っている。
「名前」
今度はちゃんと、彼女の目を見て、もう一度、名前を呼んだ。その名前に、今度こそ、漢方薬の所為でも何でもない、俺の有りっ丈の本物の想いを乗せて。
「漢方薬の所為でも、何でもいい。……お前がそんな風に、俺の前で笑ってくれるなら……俺、あと一億万年だって、言い続けるからな。好きだって」
そう言った瞬間。
名前の顔が音を立てそうな勢いで、今まで見たことがないくらい真っ赤に染まった。その余りの可愛さに、俺は思わず息を呑む。そして、気づけば、彼女の震える小さな手を、そっと両手で包み込んでいた。華奢な指先が、俺の手の中で微かに強張るのを感じる。
「工、くん……」
か細い声で、俺を呼ぶ名前の瞳は、感動と、照れと、確かな喜びできらきらと輝いていた。その輝きに吸い込まれるように、俺は彼女の顔を覗き込む。
「……俺も、嬉しい。名前が、そう言ってくれて」
言葉にすると、また胸の奥が熱くなる。
名前はこくりと小さく頷くと、俺の手をきゅっと握り返した。そのささやかな力強さが、何よりも雄弁に彼女の気持ちを伝えてくれているようで、堪らなく愛おしい。
リビングには、まだほんのりとカレイの煮付けの甘辛い香りが漂っている。窓の外には、いつの間にか満天の星空が広がっていた。
漢方薬がくれた、とんでもない暴走。
でも、そのお陰で、俺達はまた一つ、大切な言葉を交わすことができたのかもしれない。
一億万年。途方もない時間だけど、名前となら、本当にそんな未来があるんじゃないかって、本気で思える。
「……なぁ、名前」
「……うん?」
「その……カレイの煮付け、また、作ってくれる?」
俺の言葉に、名前は一瞬きょとんとした顔をして、それから、今までで一番優しい笑顔で、ふわりと微笑んだ。
「うん、喜んで。今度は、兄さんの変な漢方薬を入れないように気を付けるからね」
その笑顔だけで、俺の心臓はまた幸せな音を立てて高鳴り始める。
ああ、もう漢方薬の効果なんて、とっくに切れてる筈なのに。
この高鳴りはきっと、一億万年経っても変わらないんだろうな。
俺は名前の手をそっと引き寄せ、その細い肩を優しく抱き寄せた。腕の中で、名前が小さく息を呑む気配がして、それがまたどうしようもなく愛しかった。